私が考えるアイ・サーブ

出雲中央 
朝 山   裕
 
 

 私は以前、職業奉仕委員長として、職業奉仕とは何か、という演題で卓話をしました。 その準備のためにロータリーの本を読み、勉強を始めましたが、困ったことに肝心要の定義がどこにも見当たりません。職業奉仕の概念についての記載はあっても、具体的にどういったものかについての記述がありませんでした。ここに至って私は初めて、ロータリーの考え方に気づくことができました。
 それは、「自助努力によって道なき道を歩め」というものです。そこで私は、職業奉仕の体現者として、松下幸之助氏を選び出し、彼を研究することで卓話をすることができました。
 この経験を通してわかったことは、アイ・サーブの意味と、その功罪についてです。あくまでも私見ですが、アイ・サーブとは「自分の目でものを見、自分の頭で考える」ということ。つまりは独立心を意味します。「自学自習し、自得する」といったプロセスを最高の善と位置づけることであろうと思います。従ってアイ・サーブから得られる果実は、人によってさまざまなものとなります。50人のロータリアンがいれば、50通りの解釈や解答の違いが生じても不思議ではありません。言うまでもなく、ロータリーはアイ・サーブを身上としています。ロータリーの長所とされる「多様性」「独創性」は、このアイ・サーブを母体として生まれ出たものと考えられます。
  他方、「ロータリーは難しい」、「ロータリーは理解できない」といった原因もまた、アイ・サーブにあります。先に述べたように、公式な模範解答が明示ざれていないからです。私はロータリーの掲げる概念に対し、自分独自の解答を用意しました。このことは私にとって大変勉強になりました。 学んだことをただ、学んだだけで終わらせるのではなく、自分の力や能力にまで昇華させることが肝心であると知りました。 アイ・サーブによる「学び」は確実に人間力を高めてくれます。私は、アイ・サーブを抜きにしてロータリーを語ることはできません。 (第2690地区 島根県 小児科医)

 
ロータリーの友 2013年4月号より