はきものをそろえるということには、二つの意味があると思います。
一つはいつも自分の足下を見るということです。
もう一つは、周りの人に思いやりの心を与えるのです。
 児童養護施設円福寺愛育園園長  藤 本 光 世
平凡なことを徹底することで
平凡は非凡になる


 私が「凡事徹底」という言葉を(株)イエローハットの社長をされた鍵山秀三郎氏からお聞きしたのは、1994(平成6)年2月です。父が懇意にしていただき、そのご縁で、講師としておいでいただきました。その時に私は初めて、鍵山先生のご講演を聞いたのです。
 「凡事徹底」という言葉自体、当時はありませんでした。「凡事徹底」とは「平凡なことを徹底して継続することによって、平凡は非凡になる」という意味です。そして鍵山先生の継続、平凡なことを徹底して行う、ということとは掃除だったのです。本当にすごいなと思いました。
 社員が、いろいろな街へ掃除に歩く、その掃除をする広さと質が、その掃除をする人の人格に比例する。このように言われました。会社の車は雨が降っても雪が降っても毎朝洗う。そしてお客さまに 「そう言えば、ここの会社はいつも車がきれいだなあ」と、思われなければだめだと。
 そのころ私は、父が第1回卒業生でもある長野県立屋代高校に教頭として勤めていました。鍵山氏に刺激を受け、「私も何か」と思って、学校まで車では5分か10分で行かれるところを徒歩にして、道路に落ちているゴミはみんな拾ってしまおう、と思いました。左手にゴミ袋を、右手に金ばさみを持って通勤することにしました。拾っているうちに気持ちが良くなり、これはなかなか良いぞ、と思うようになったのが、私の「凡事徹底」の始まりです。
 「はきものをそろえる」ということもそうなのですが、何か周囲の人が良いなと思うこと、少なくとも嫌だな、という思いを取り除くことに、この通勤途上のゴミ拾いはつながったのではないかと思いました。
 この行為は、一度続けると習慣になるのです。その次に赴任した高校は県立長野南高等学校です。今度の学校はちょっと遠くて、約6キロメートル離れていたので、車で行かないとならないものですから、少し早めに出勤し、学校周囲約1キロメートル半径のゴミを拾いました。1時間から2時間くらい拾うのです。そうすると、生徒が見ていて「校長先生ぇー!」と手を振ってあいさつをしてくれたり、畑で働いている人から「いつもゴミを拾っている先生だね、持っていって」などとリンゴをもらったりしたこともあります。


心のコップが
上向きになっているか


 その次は、長野県で一番歴史と伝統のある、県立松本深志高校に赴任することになりました。この高校は当時、現役進学率は5割に届かず、実績も振るわなかったのです。前任校までは、校地外のゴミ拾いしかしていなかったのですが、学校の汚れを見て、思い切って廊下のモップ掛けを始めました。ジャージに着替えてモップを2本持って、学校中の廊下をモップ掛けしてしまうのです。これが私の「凡事徹底」の第二段でした。
 そうは言っても、掃除もいき届かないようになってしまっていた学校をきれいにするというのは至難の業です。職員が「生徒の『自治』だ」と監督に付いていない。掃除道具がそろっていない。生徒は職員が見ていないのを良いことに、掃除しない。これらをどうするかです。日ごろから清掃をしていないから、トイレの道具はメチャクチャ、雑巾はぬるぬる、道具置き場はゴミのたまり場になっていました。どうしたらよいでしょう。
 私が行ったことは、まず道具を良くすることでした。道具を全部新しくしよう。そして、きちんと整理して置けるようにしよう。これを夏休み中に行いました。そうしたら、事務長さんを先頭にして5〜6人の行政職員の方が、新しくそろった道具で、全てのトイレをピカピカにしてくれました。
 私は2学期の始業式で、行政職員の皆さんが便所掃除をしてくれたことを、生徒に話しました。詩人・濱口國雄(1920〜1976)の「便所掃除」の詩を紹介し、生徒の手で毎日きれいに便所掃除をしてほしいと訴えました。
 さあ、訴えたら生徒は動くでしょうか? 動きません。そんなに簡単に人間は動きません。それなら私が「やってしまおう!」と決意して、そこから、私のトイレ掃除が始まりました。これが私の「凡事徹底」第三段でした。
 さすがに女子トイレはできなかったですが、男子トイレ7つ、これを毎朝すべて清掃しました。7時半に出勤しジャージに着替えて、7つのトイレをきれいに清掃して、その後1階から4階までの廊下と階段を全部、モップ掛けして、その後は校地内のゴミを全部拾い、それから校地周囲の道路のゴミを拾って、始業が近くなると校門に立ち、生徒とあいさつを交わしました。
 そうしたら、学校はとっても良くなりました。私の任期が最後の5年目は、現役進学率が64%まで上昇しました。東京大学を例にすると、それまで浪人が主で10人に達しなかったのが、現役で10人、浪人5人、合計15人も入りました。しかも、現役の10人は東大の全類の制覇です。理T、理U、理V、文T、文U、文V全部入りました。全類制覇は学校全体の力がないとできないものなのです。
 これには、本当にすごいなと思いました。周囲をきれいにするということで奇跡が起きる。こういうふうに私は思ったのです。
 私は深志の次に、県立上田高校に赴任して、同じようなことを行いました。上田高校の教育実習生からもらった手紙には、私の教育についての話が強く印象に残った、と書いてありました。それは、心のコップが上向きになっているか、下向きではいくら何を注いでも流れてしまう、という話です。
 「校長先生の教育方針に私はとても影響を受けました。さまざまなお話をお聴きしましたが、その一つひとつにとても感銘を受けています。失礼な言い方かもしれませんが、私は何よりも先生が生徒の立場まで下がって、お手本を見せることによって存在として教える″という先生の姿勢に、驚きと得も言われぬ感動がありました。教師も生徒と同様、常に学ぶ存在であり、教育するのではなく、いつも生徒に教えられ、それにより、より良い教育を模索していなければならないということも知りました。短い問に、数えきれないほどのことを学びました」
 私との出会いを喜んでくれた実習生は「最後になりましたが、上田高校がきれいになったこと、それによって先生方、生徒の心まできれいになっていることに私は気づかされました。私もいつか校長先生のような教育者になれるように、頑張りたいと思います」と述べてくれています。
 私が上田高校を去る時に、ある職員が「校長の影響力は本当にあった。校長によって学校は本当に変わっていくものだ。今、上田高校は本当に空気が澄んでいるという気がしています」と書いた手紙をくれました。


はきものをそろえると
こころもそろう


 今、私が経営している児童養護施設の子どもたちは、悪い運命の中で生きてきた子です。悪い連鎖の中に入ってうちに来た子どもたちの運命を断ち切って、そして良い運命の中、良い人間関係の中に入れてあげなければいけない、と私は思っています。
 そのためにはやはり良い環境、凡事徹底、平凡なことを続けて行うこと。きれいで良い環境の中に自分を追い込んでいく、そういう環境で包んであげる。そういうことが私は大事だと、本当にこれが力になると思っています。
 さて、父の言葉「はきものをそろえる」です。ニューヨーク・ヤンキースで大活躍した松井秀喜選手が、石川県の星稜高校生の時の監督・山下智茂氏が、部室やベンチに掲げ、部員に人としての道を説いた言葉があります。それは「心が変われば行動が変わる/行動が変われば習慣が変わる/習慣が変われば人格が変わる/人格が変われば運命が変わる」というものです。
 この、心を変えることの第一歩が「凡事徹底」ではないでしょうか。「はきものをそろえる」ことも「徹底したお掃除」も、心が変わることによりできるようになり、それはかえって心に影響を及ぼし、習慣となるのだと思います。それが、人の運命をも変える力になるのです。
   はきものをそろえるとこころもそろう
   こころがそろうとはきものもそろう
   ぬぐときにそろえておくと
   はくときにこころがみだれない
   だれかがみだしておいたら
   だまってそろえておいてあげよう
   そうすればきっと
   世界中の
   人のこころもそろうでしょう
 ロータリーの友 2016年5月号より